お礼のことば「ありがとうございます」は、
もともと「有り+難し」、つまり「有ることが難しい(めったにない)」という意味でした。
…このこと自体は、辞書にものっていますし、
本やネットにも溢れていますから、皆さんも、よくご存じのことでしょう。
しかし、
よくやってしまうこと、陥ってしまう思考としては
「あるのが、当たり前」
「できて、当たり前」
という気持ち。
ありがたさ、への気持ちが薄らいで、
ゆくゆくは、感謝の気持ちなどを感じることがなくなって、
そのモノ、コト、ヒト、を軽く扱ってしまうのです。
でも、そういうことが続くと、
ある日、突然、
こうしたしっぺ返しをくらいます。
「え?!彼(彼女)が、会社を辞める?…ななななんで?!」(退職)
「え?俺(私)と別れるというの?…ななななんで?!」(別れ)
「え?いつも発注していただいていたのに、突然、今年から取引中止だなんて!こここ困ります!」(中止)
「え?そそそんな馬鹿な。突然、××(致命的な病状)だといわれても…まじですか…」(病気)
覆水盆に返らず…
こぼれたものも、壊れたものも、
もとには戻りません。
ですから、そうなる前に、
目の前にあるものが、いつまでもあると思うのではなく、
今、突然、この場から消えてしまったとしたら、どうなってしまうのだろうか?と
想像してみることをオススメします。
私は、よくこのエクササイズを電車の中や、歩いているとき、にします。
□電車だって、時間通りに発車到着すること自体、奇跡。
もし、これがなくなったら・・・
□いま、健康的にしているけれど、
もし、これがなくなったら・・・
□今住んでいる家が、震災、天災で、
もし、なくなってしまったら・・・
□いまふつうに吸っているこの空気が
一瞬のうちに汚染されたり、なくなってしまったら・・・
□一緒に働いているこの仲間が、
明日からいなくなってしまったら・・・
そう思うと、だんだんと薄れていた、忘れていた、
感じられなくなっていた感謝の気持ちが自然と湧き上がってくるはずです。
そして、もう一度、
目の前のモノ、コト、ヒトと向き合ってみてください。
なんらそれらは、さっきと変わっていないのに、
こちらの捉え方がかわると、見え方がかわっているはずです。
ぜひ、これを読んだあと、すぐにやってください。
目の前に映るもの、一分間。
(エクササイズ 一分間)
ね?
いかがですか?
「いれくれて、ありがとう。」
「やってくれて、ありがとう。」
その存在自体にありがとう…と、自然にいえる、と思いません?
こういうことを、みんなが一人ひとり思っていければ、
世の中、変わっていきますよね!
あとは、それを、
どう実感し、どう意識づけ、
どう実践し、どうそれをし続ける仕組みをつくるか、です。
(毎回、ここでも触れていますが、知っていても、実践できない…のでは意味がありません)
今日もきっと・・・I・W・D!