このメルマガを読んでいるAさんから、
野村萬斎さんの「狂言サイボーグ」という本をご紹介いただきました。
歌舞伎や能狂言の家が、芸を「伝承」するといった次世代育成は、
会社の人材育成と、更には子育てにも通じるということを確信した、
ということでした。私もさっそく購入して読みましたが、
育成プロセスをコンピューターに例えている部分があり、
大変興味深く、皆さんにも共有したく。
____以下、印象に残った部分を引用。
「私にとっての教養とは「生きていくために身につけるべき機能」のことである。
知識として暗記したものは教養ではない。」
「狂言の教授法は、師匠が弟子と一対一で向かい合い、
弟子に師匠の物真似をさせることから始まる。
特に狂言は親子での「口伝」による伝承が多い。
物真似というのは、自分ではない人になるという意味で、
演じるという行為の根源になる。」
「子供の教育にとって個性の尊重が大切だとよく言われるが、
教養を身につけていない子供に個性を求めても仕方がないのではないだろうか。
私たち狂言師にとっての幼い頃の稽古は、個性の尊重などとは無縁である。」
「今時のコンピューターにたとえると、狂言の稽古とはプログラミングされることだ。
この「プログラミング」という言葉が一つのポイントになる。
子供の意思に拘らず、狂言師としての機能を身体にたくさん植え込んであげることが
非常に大切なことなのである。そこには個性など存在しない。
プログラマーたる師匠が、弟子が「誤作動」しないように何度も真似を繰り返させる
だけである。」
「手一つ挙げたときでも、その手が下がっていれば、下からたたく。
上がり過ぎていれば、上からたたく。たたいたり、そこの神経をさわることで、
だんだんと神経を集中させて、型を植えつけていく。
こうして時には痛みを伴いながら、
少しずつ意識を行き渡らせることができるようになると、
全身の回路をつないで機能させることができるようになる。
ここまでくると狂言師としての教養が身についたことになる。」
「人体は一種のハードウェアのようなものだ。知識ではなく身体で「型」や「カマエ」
といったソフトウェアを体得させた精巧なコンピューターを持っていれば、
実はそれだけ個性を発揮する力にもなる。」
「伝統の型を受け継ぐということは、幼児が歩けるようになったり、
しゃべれるようになったりするのと似ている。表現する手段を身につけるということなのだ。
だから一通りの型の習得が終わって、自分の芸をしはじめる。
「四十五十はハナタレ小僧」という老名人の名言も生まれるのであろう」
_____引用、ここまで
組織を継続させるためには?
なにを、どのように「伝承」していくのか?
それは、各企業が手にしたい技術なのかと思います。
皆さんの会社では、何を、次の世代に伝えていくのでしょうか?
伝承するための仕組み、伝承するための技術はありますか?
そして、まずは目の前の新入社員には、どう接していきましょう?
参考になれば、と。
参考:狂言サイボーグ 野村 萬斎 著
今日もきっと・・・I・W・D!