水は高いところから、低いところに流れていく。
それは、自然の摂理。
それと同じように、
人と人が集まったとき、人と人との間で、
知識や情報、エネルギーなどの <なにかしら> が
高いところから、低いところに流れます。
人と人との間に、まだ、この高低差があるときは、
<なにかしら> が流れていますから健全です。
しかし、その高低差がなくなると、一気に、流れがなくなります。
<なにかしら>が、とどまり、にごり、よどみます。
よどんでいる会議、って、ありませんか?
よどんでいる組織、って、ありませんか??
いつも同じ人、同じレベルの面子で、
同じような話をしていると、たちまちよどむわけです。
だって、流れるものがないんですから。
動くものがないんですから。
だから、リーダーは、あらゆる場面で
この高低差があるかどうかを観察し、
この高低差を意図的に作っていかないといけません。
...意図的に議論のテーマを変える。
...いつもと違うやり方にする。
...いつもと違う面子での組み合わせにする。
いずれにしても、その瞬間に、高低差が発生するように進めていくのです。
そして、高低差を、<毎回、同じ人が高い>とか、<同じ人が低い>とか、
固定席にならないように配慮することもさらに重要です。
いつも<高い>で固定になると、流す一方で、他人から学ぶ機会がありません。
そして、勝手に、<〇〇の専門家>とか、<先生>にしあげてしまいます。
そして、そうなってしまうと本人もなかなか<本当はわかっていない自分>を出しにくくなってしまいます。
一方、いつも<低い>で固定になってしまうと、<受け身>になりますし、
<教えてもらうことが同然>というスタンスになりますし、
<自分の知識を誰か他の人にわかりやすく伝える技術>が、いつになっても身に付きません。
とにかく、誰でも高い人となり、智慧の水の源流になる。
誰でも、低い人となり、智慧の水を飲む学習者となる。
いずれにしても、学習のリテラシーを向上させていくことが重要です。
そうした動きや変化があることを是とする組織は強いのです。
あなたの組織は、どうですか?
そして、あなた自身は、いかがでうか?
同じ面子と、同じ取り巻きで、同じような話で、安心していたりしませんか?
最近は、<〇〇の専門家>としての地位を獲得してしまい、長いこと安住してはいませんか?
<はっきりいって、よどんでいますよ。あなたの周りだけ...>
なーーーんて、いわれないように、チェックしましょうね。ドキっ!!
今日もきっと・・・I・W・D!