人は、想定もしなかったものが目の前にあわられると、
驚いたり、困惑したり、狼狽したり、
そして、しばらくすると、怒りを覚え
誰か(他人や自分)を責めたり、
抵抗したり、黙りこくったり、
逃げ出したくなったり、
と、いろいろと感情と態度が湧きおこります。
自分がうっすらと描いていた物語が
ガタガタと音をたてて、崩落をしていく様は、
何度味わっても、嫌なものです。
ただ、ここからがポイントです。
災害にしても、
事故にしても、
病気にしても、
異動の辞令にしても、
会社の異常事態にしても、
起きてしまったことは、しょうがないわけで、
いつまでも、
「なぜ、この俺(私)が?」とか
「あのとき、〇〇していれば、××にならなかったのに」とか
過去のことを後悔したり、恨んだりしたとしても
なにも未来は変わらないわけです。
人によっては、5年も、10年も、ずっとその状態で
まるで時計の針がとまってしまったような人もいるわけで、
「過去を生きている人」となってしまうのです。
皆さんには、決してそうなってほしくない。
とにかく、いちはやく物語の再構築のモードにスイッチをいれ、
未来にむけて歩き始めてほしいわけなのです。
その際に、
まず、一番最初にするべきことがあります。
それは、「感情の解放」です。
これは、
①自分ひとりでやってもいいですし、
②信頼のおける誰かに助けてもらってもいいです。
とにかく、自分の湧き上がる感情を、外に吐き出す。
これのプロセスがこの時期にはとても、とても、本当にとっても重要です!
例えば私の場合ですと、
①については、10年日記がそれにあたります。
毎日起きることを記載していますが、
これまでにも、たまに想定外な仕打ちをうけたり、
何度も逆境に立たされたときがありましたが、
そんなときは、湧き上がる感情を、すべて10年日記にぶつけてきました。
言葉は選ばず、罵詈雑言を、赤ペンに書き殴ります(笑)
おそらく、他の方が、これをもし見る機会があったら、
軽く引くのではないか、というレベルです。
(※いや、軽くでなく、身の毛がよだつくらいの悍ましいレベルかもしれません(笑))
しかし、このプロセスが重要です。
思いっきり書けば、書くほど、
しばらくすると、次の感情が舞い降りてくるのです。
「そうはいっても、〇〇さんの立場にたったとしたら、いたしかたないかな…」
「いつまでも、うじうじしていても、何も変わらないしな…」
こうした状態になって、はじめて、目の前の事態を、
やっと受け入れる準備ができたことになりますし、
目の前の出来事を、自分の人生の物語の中に取り込んで
自らで「意味付け」を行ったことになります。
そこからは、私の場合は、青ペンで、
次なる物語を描き始めたり、具体的な再構築プランやアクションを書き足していきます。
②の場合は、
私の場合は、行きつけの飲み屋の女将さんにぶつけに行くか、
聞き上手なコーチに話をぶちまけることにしています(笑)
ここで注意が必要なのは、
「聞き上手である人」、、、ということです。
聞き上手な人や、そういう相談に慣れている人ならば、
早急にアドバイスなどはしてきませんし、
話やすい状態の中で、こちらも、感情を解放することができます。
ずっと聞き耳をたてて、話をきいてくれるので、
割と早い段階で、あの感情が舞い降りてくるのです。
「そうはいっても、〇〇さんの立場にたったとしたら、いたしかたないかな…」
「いつまでも、うじうじしていても、何も変わらないしな…」
この感情が湧き出てきたとなると、自分で「意味付け」をしたこととなります。
そういう状態になって、最後にちょっとだけアドバイスを添えてくれるような人ですと、いいですよね。
一方、
おせっかいで、アドバイス好きな人とこのプロセスをしてしまうと、
こちらがちょっと話を打ち明けた瞬間に、
彼らはアドバイスモードになってしまうため、
こうしたほうがいい
ああしたほうがいい
と、アドバイスをしはじめて、
往々にして的外れなアドバイスの連打!
調子にのってくると、関係もないような体験談や人生訓を押し付けてくるので大変です(苦笑)
実はこれがすこしやっかいで、
こうしたアドバイスによって、感情が落ち着くこともありますが、
感情解放を完全にしきっていないために、
例えていうならば、
怒りや恐れの感情のマグマが体内に残っているうえに、砂で覆うようなもの。
後々、ふつふつと怒りがこみあげたり、
人によっては、数年、そして十数年も、自分を苦しめる想い出となったりもするわけです。
早急に「吐き出す(感情解放)」環境をいかにつくれるのか。
そして、そのプロセスによって、
「(他人ではなく自らが)意味付け」をすることができれば、
物語の崩壊から、いちはやく再構築へのプロセスへと移行することができるのです。
ご参考までに。
今日もきっと・・・I・W・D!