『弟子が「誤作動」しないように』

 

 

このメルマガを読んでいるAさんから、

野村萬斎さんの「狂言サイボーグ」

という本をご紹介いただきました。

https://amzn.to/3rHesjr

 

歌舞伎や能狂言の家が、

芸を「伝承」するといった次世代育成は、

会社の人材育成と、更には子育てにも通じる

ということを確信した、ということでした。

 

私もさっそく購入して読みましたが、

育成プロセスをコンピューターに例えている部分があり、

大変興味深く、皆さんにも共有したく。

 

____以下、印象に残った部分を引用。

 

「私にとっての教養とは

「生きていくために身につけるべき機能」のことである。

 知識として暗記したものは教養ではない。」

 

「狂言の教授法は、師匠が弟子と一対一で向かい合い、

 弟子に師匠の物真似をさせることから始まる。

 特に狂言は親子での「口伝」による伝承が多い。

 物真似というのは、自分ではない人になるという意味で、

 演じるという行為の根源になる。」

 

「子供の教育にとって

 個性の尊重が大切だとよく言われるが、

 教養を身につけていない子供に個性を求めても

 仕方がないのではないだろうか。

 私たち狂言師にとっての幼い頃の稽古は、

 個性の尊重などとは無縁である。」

 

「今時のコンピューターにたとえると、

 狂言の稽古とはプログラミングされることだ。

 この「プログラミング」という言葉が一つのポイントになる。

 子供の意思に拘らず、狂言師としての機能を身体に

 たくさん植え込んであげることが

 非常に大切なことなのである。そこには個性など存在しない。

 プログラマーたる師匠が、弟子が「誤作動」しないように

 何度も真似を繰り返させるだけである。」

 

「師匠が全体的なイメージでやってみせたものを弟子は受けとめ、

 手一つ挙げたときでも、その手が下がっていれば、下からたたく。

 上がり過ぎていれば、上からたたく。

 たたいたり、そこの神経をさわることで、

 だんだんと神経を集中させて、型を植えつけていく。

 こうして時には痛みを伴いながら、

 少しずつ意識を行き渡らせることができるようになると、

 全身の回路をつないで機能させることができるようになる。

 ここまでくると狂言師としての教養が身についたことになる。」

 

「人体は一種のハードウェアのようなものだ。

 知識ではなく身体で「型」や「カマエ」

 といったソフトウェアを体得させた精巧なコンピューターを持っていれば、

 実はそれだけ個性を発揮する力にもなる。」

 

「伝統の型を受け継ぐということは、幼児が歩けるようになったり、

 しゃべれるようになったりするのと似ている。

 表現する手段を身につけるということなのだ。

 だから一通りの型の習得が終わって、自分の芸をしはじめる。

 「四十五十はハナタレ小僧」という老名人の名言も生まれるのであろう」

 

_____引用、ここまで

 

 

私の父親は鋳物職人でした。

そして、私は、コンサルタントをへて

コーチという職人でもあります。

 

かつて、

コーチングファームで、

プロコーチを三桁育成してきましたが、

今回の「弟子が「誤作動」しないように」と同様の

超絶厳しい教育プログラムを構築し、このプロセスを経たコーチは

いまも、自分で道を切り開き、くいぶちに困っていません。

 

経営者が、次世代幹部を育てるときに、

この「弟子が「誤作動」しないように」

経営者としての機能を身体に

たくさん植え込んであげることが、重要なのも同様です。

 

組織をサバイブさせるためには?

なにを、どのように「伝承」していくのか?

いま、まさに、多くの企業が悩み、

手にしたい技術なのかと思います。

 

皆さんの会社では、何を、次の世代に伝えていくのでしょうか?

伝承するための仕組み、伝承するための技術はありますか?

ちょっと遠い目をしちゃいます。 笑

 

今日もきっと・・・I・W・D!