Creative confidence
…クリエイティブな表現をする自信
クリエイティブさを求められる世の中であるのに、
Creative confidence
を圧迫されている人が多いような気がします。
僕も一時期、そうだった…。
でも、あるときから解放することに決めた。
自分の感情や想いは誰に制限されるものでもないし、止めることはできないのだから。
むしろ、封印させられたと他責にしたり、被害者になりさがってはならない。
自らの可能性を自ら否定したり、卑下したり、低く見積もったり、
檻にいれ、封じ込めてしまわないようにしなければいけない。
そんなことをするために生まれてきたわけではないのだから。
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君たちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて、無駄にする暇なんかない
(スティーブ・ジョブス)
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お前の道を進め。
人には勝手なことを言わせておけ。
(ダンテ・アリギューリ)
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さぁ、解放しよう!
この世をクリエイティブで埋め尽くそう!
今日もきっと・・・I・W・D!
「いや、それって、僕、不得意分野なんでぇー…」
(…お、おまえ、ちょっとやっただけで、
悔しくないのか!乗り越えてみろよ!!)
「いや、僕、それをするために生まれてきたわけじゃないんで…」
(…ひ、ひ、開き直りかよっ!!じゃあ、
たまにこうした人と出逢います。
呆れて人にものもいえなくさせ、
彼らをどうこうできるわけではないのですが、
すこし世の中の傾向で気になることがあります。
それは、
「強みを活かす」だったり、
「個性を活かす」たっだり。
この考え方自体は、とても重要な視点ですし、
この考え方で救われたり、成長が加速することもありますから。
昔、大ヒットした曲で、こんなフレーズがありましたよね。
♬ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なオンリーワン♬
ああ、いまの自分でいいんだ。
競争で疲れ切った人たちに癒しを与える言葉だったと思いますし、
国民の多くは、そうだ!オンリーワンなんだ!
僕もその一人です。笑
でも、一方で怖いのは、それが
<努力をしなくてもいいんだ>という勘違いだったり、
開き直りになる可能性も秘めています。
つまり、人の成長を止める言葉にもなりうる、ということ。
植松電機の植松努さんという方をご存知でしょうか?
ネットで調べると、
私も彼の本や講演を拝聴し感動しました。
講演ではこう指摘しています。
******
花屋の店先に並んだ
いろんな花をみていた
ひろそれぞれ好みはあるけれど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて争うことしないで
バケツの中 誇らしげに
しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は
どうしてもこう比べたがる?
一人ひとり違うのにその中で
一番になりたがる
(以下、省略)
こんなフレーズがありますが、
それは、きれいな花が店先に並んでいるのはいいのですが、
どれだけの花が間引きされてしまっているのか?
*******
とても、深いお話だと思います。笑
徹夜の作業が続き、
と意気消沈しかけたときに、ある仲間がこういった。
「つらいけど、頑張ろうぜ。…朝の来ない夜はないってわけだ!」
これは、いいと思うんです。
やるだけやって、できるかぎりのことをし尽して、最後の最後、
「これだけやったんだ。
「怖がることはない。なにがあったって、
これも、いいと思うんです。
でも、冒頭の
「いや、それって、僕、不得意分野なんでぇー…」
「いや、僕、それをするために生まれてきたわけじゃないんで…」
これは、まったく違うでしょ! 笑
成長は、
高いハードルを目の前にして、
行動し、ぶつかって、失敗し。そして考え。もう一度、
幾度もそれを繰り返すと、そこに
<今までの方法では通用しない…>
<なにか、別の方法を見出さなくては…>
と思えたとき、成長の始まりなわけです。
諦めかけるときもあるけれど、
その気持ちをもう一度、はっぱをかけ、引き締め、
逆に、
自らが自らにかけた緊張を緩和させるための言葉。
そんな成長を促す言葉として使うのならば、いいと思うんです。
修羅場を目の前にすると、
そうした緊張と弛緩のバランスを絶妙にとっていく言葉の数々と出
それによって、自分も救われたし、
修羅場の数だけ、その言葉のバリエーションも増えていくし、
だから数々の修羅場を乗り越えてきた経営者は、
その重さはそこからくるのだと思います。
魅惑の言葉。
成長を加速させるか、成長を止めるかは、あなたの使い方次第。
意識していきたいところです。
今日もきっと・・・I・W・D!
経営コンサルタントの大前研一さんは、こう語っています。
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人間が変わる方法は3つしかない。
1つは時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目は付き合う人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。
かつて決意して何か変わっただろうか。
行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。
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分っちゃいるんですけどね…
(という声が聞こえてきそう…笑)
私は最近の体験から、3番目の<付き合う人を変える>は、
かなり効果的だな…と、強い確信になってきています。
<自分がこうなりたい、ああなりたい>と思ったら、
まずは、<もう既にその理想的な状態を手にしている人、成し遂げている人たち>に逢うこと、同じ空気を吸うこと、できれば、その人たちのコミュニティの輪の中に混ぜてもらうこと。これが一番の近道かな、と強く思っています。
もし、書籍を書こうと思うならば、
書籍を何冊も書いている人、何百万部も売れている人に逢うといい。
もし、仕事力をあげたいならば、
NO1の実績をあげている人を師匠としてカバン持ちをすればいい。
もし、健康的な身体を手にしたいならば、健康的な彼らと一緒に生活をすればいい。笑
もし、経営者として自分の会社を成長させたいならば、
修羅場をくぐった経営者に手紙を書いて逢いに行けばいい。
すると、きっと思うはずです。
彼らと自分とで<使う言葉>が違うこと。
彼らと自分とで<思考回路>が違うこと。
そして、彼らと自分とで<取る態度>が違うこと。
なんであんなにもポジティブな言葉が多いのか?
いつもなんで未来についての話が多いのか?
問題をみるとワクワクしている。まるで課題ハンターのように!?
笑いが絶えず、制限かけず、早いうちから「で、どうする?」っだし!!
他人を避難したり、批判することで自分の存在を証明するのではなく、
なにかを成し遂げることで、結果的に存在価値がついている…。
彼らと触れ合うと、最初は目眩がするはずです。
彼らの使っている言葉も、思考回路も、態度も、
普段の自分とも違うし、普段付き合っているこれまでの仲間とも違うので
多少、居心地が悪い。…いや、かなりワルイ!!笑
でも、そこは自分のコンフォートゾーン(安全地帯)から抜け出るためのいわゆる儀式。
しばらく我慢して、何回かその刺激を我慢していると、脳の中にもシナプスがつくられ、
それが、あらたなコンフォートゾーン(安全地帯)になりますので。
どんな振る舞いをしたらいいのか。
どういう行動パターンをとればいいのか。
どういう思考でいたらいいのか、が身体に染みつくまでつきあるべきです。
ここで注意が必要なのは、人は易き道に流されやすいということ。
居心地が悪い所よりも、居心地がいい所のほうがいいわけで…。
ともすれば自分の居心地のいいグループに戻ってしまったり、居座ってしまいがちなこと。
しかし、そこは安全地帯ですので、居心地はいいのですが、あなたにとっての成長は見込めません。
あなたが居心地がよくなったということは、そろそろ次の成長の場を探すときなのかもしれません。
ある筋肉を鍛えたいときには、そこにある程度の負荷をかけないといけないわけで、
余裕がでできたということは、次のレベルの負荷を必要としているのです。
あ、もちろん、いま付き合っている仲間と縁を切れというわけではありませんよ。
もちろん安定した場は必要であるのですが、
もし<成長したいならば>そういう負荷の場も探しておきましょう、ということです。
あなたは、こうなりたい、ああなりたい、というイメージは明確にありますか?
そして、そのモデルになる人は誰ですか?
その人にリーチできていますか?
どのくらいの頻度で接点をもっていますか?
そして、ちょっと居心地が悪い状態に身を置くことを愉しめていますか?
同じメンツでたむろって、いつもの会話で、いつもどおりの行動パターンしかない…のは、
既に成長が終わっちゃっています。
はやく、I(イキイキ)・W(ワクワク)・D(ドッキドキ)しましょう!!
今日もきっと・・・I・W・D!
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ここ最近、本を書かれている方にお逢いしたり、
食事をさせていただいたりする機会が何回かあり…。
できるかぎり著者の方には聞くようにしてます。
<どうすれば、そんなに本を書けるんですか?>と。
この方は、年に10冊くらいのペース。
すでに数十冊を上梓していて、トータルで100万部をゆうに超えている方です。
おそらく皆さんのご自宅の書棚にも、その方の本があるかもしれません。
かたや、私といったら、共著では何冊かありますが、単独では2008年に一冊。
これを書き上げるまでに、うだうだと6年くらいかかってしまって、
書き上げたときには、事例が一部古くなって書き直し…。泣
編集者の方にも多大な迷惑をおかけしたものでした。
そして、それが出てから、また6年…。
2014年になってしまいました。(…ハレー彗星かっ!!笑)
その方は、こう答えたんです。
「自分が出来ていないから、書けるんですよ」と。
一瞬、耳を疑いました。
<ん?…出来ているから、ではなく、出来ていないから…??>
「自分が出来ていないから、そこにアンテナがたって、興味をもって書けるんですよ。
ぼくも悩んでいるんです、苦労しているんです、で、こんな方法がいいみたいですよ。
それを一緒にやっていきましょうよ、というスタンスで書いているだけですよ」と。
私にとっては、衝撃でした。
普通、やっていることを書くんじゃないのか?
出来ていることを、書くのではないのか??
これまで、
言っていることとやっていることが違う人に強い嫌悪感をもっていた私は、
その言葉で目眩がしました。
<ああ、こういう人がいるんだ…>と。
そのあと、何人もの著者にあって、話をきくと、なんとも同じ似たような発想。
そして、こういう話もお聞きできました。
「自分も一冊書いて、書けなくなったんだ。
その時、ある著者に<なぜ、本を書くのか?>ときいてみたら、その人は、
<悩んでいる人、困っている人を助けたいからでしょ!>といったんだ。
そして、<書くネタが少しでもあるならば、いち早く出して助けなきゃ!
助けられずにいつ自分が死ぬか、わからないんだよ!>と。
それからというもの、自分の本に対する思いがガラッと変わったよね…。」と。
「本という手段は、まだ見ぬ、多くの人にリーチ出来るんだよ。
僕の知らない人も、実は、この一冊で助かっている可能性もある。
それってすごいよね。もちろん、読んで、変われる人はごく一部かもしれない。
それは、1割もいないかも。もしかしらた、5%かも。
でも、その変われる可能性が5%と一定ならば、2万部、売れるよりも、10万部。
10万部よりも50万部。50万部よりも100万部だろう、
とおもったわけなんですよ。助けなきゃ!って。」
そして、彼らが共通していう言葉は、
「その本で幸せになる人がどのくらい増えるか、だよね。」
そこで、痛感したのです。
<ああ、彼らが違うのではなく、自分が違ったんだ…>と。
彼らの内側に流れる言葉は、僕のそれとはまったく違った。
…いいものを書こう。
…みんなが納得のいくものを書かなくっちゃ。
…誰かが書いているものは物真似だ。
…自分独自なものを書かなくっちゃ。
そんな言葉が内側に流れていると、どうも、ペンがとまります。
でも、彼らは違うんです。
「ねえねえ、きいて。いい方法を体験してみたら、すごくよかったから試してみて。どう?」
幸せをシェアしているようなスタンス。
内側に流れる言葉が違うと、こうも行動が変わるのか…と実感をしました。
皆さんの内側で流れる言葉、なんでしょう?
耳を澄ましてみてください。
そして、その言葉によって行動が起こせないならば、ちょっと眺めてみてください。
動けている人を。そして、想像してみてください。
彼らの体の中で、どんな言葉が流れているのかを。
想像してもわからないときには、直接、聞いてみてもいいかもしれませんね。
きっと、思いもよらぬ言葉が流れているはず。
ぜひ!!
今日もきっと・・・I・W・D!
昨年は週に1.5本ペースだったメルマガ配信を、
毎日配信になってから今日で10号目!
はじめの4,5通は、なかなかしんどかったのですが、
次の週(先週)からは、ごく自然体で執筆することができるようになりました。
朝PCに向かって、そこで書きたい内容が湧き上がってきたら、一気に書く。
書き上げるまでの所要時間は20分。…だんだんと慣れてきました。
なにごとも、ハードルを課した瞬間は、
自分の意識や行動の変化になじむまでの不自然な感じや戸惑いを感じますが、
だんだんと、習慣化してくると、それが自然となる。
それこそ、私の心の奥底にある<裏目標>にスポットライトをあてて、
ついでに光の当たるところにまで引きずり出して、
<おい、本当にこれでいいのか?…自分??>
と自分と向き合うことができたから、かと。笑
因みに私の心の奥底にある<裏目標>とはなにか?
それは、<完璧でありたい>というものでした。
なので、以前は、
<なにかしら学びが提供できる完璧な文章でなければいけない…>
と、いったこだわりがありました。
ですから、テーマ選びもそうですし、書き始めてから何回も推敲して、
最終的に配信するまでに随分と時間をかけていました。
これらはある意味、プロフェッショナルとして成長する際には、本当に機能するものでした。
ちょっと試すだけで、いつもいつも、<まっ、このくらいでいっか…>という気持ちだったらば、
この仕事では食っていけなかったでしょうし。
ただ、固定観念が
<いつでも、どこでも、だれにでも、これしかない!>となると問題になる、わけです。
今回はそことの戦いでした。
まずは、その<完璧でありたい>といった固定観念が使えないシーンをつくるために、
意図的に<配信頻度を毎日にする>ことを私のコーチと約束しました。
アウトプットの場が毎日となると、
<インプットの量を増やすこと>はもちろん、<プロセス(執筆)を加速させる>ことが求められます。
それを可能にするためには、それなりに内側のあり方も変えていかないといけません。
インプットを増やすために、行動量を増やすこと。
アウトプットを意識して、アンテナをたてて、生活をすること。
読書にしても、常に精読ではなく、速読と精読を使い分けること。…などなど
また、プロセスのところが一番、今回変わったところでしょうか。
<8割9割の出来を意識するのではなく、
スピード、鮮度などを重視し、時には2割、3割でも良しとする>…という意識。
いま、まさに、変革中。。。
<裏目標>が光のもとに引きずり出されて、
まさに、シュワシュワと泡となって消えていくよう。
あんなにも、大切にしていた固定観念も、意外に新たな行動をしてみると、たいしたもんではない。
こうやって宣言することも、<渡ってきた橋を焼き落とす>効果となっているんでしょうね。
もう、戻る道はない! 笑
皆さんは、ご自身の<裏目標>はなんでしょうか?
今度、テーマにしてみましょうか?笑
今日もきっと・・・I・W・D!