『習慣化のコツ…は、シームレス』

 

1月も最終日。

あっという間に、12分の1が過ぎようとしています。

 

年初に立てた目標などが、

計画通りに進んでいるのかを週末レビューしてみましたが、

進んでいるものもあれば、

遅延してしまっているものも「すでに」あります。(笑)

 

なぜ、遅延してしまったのか…。

 

それは、

「すでに習慣化されたもの」と「新たなチャレンジ」が

シームレスに連携していなかった、というもの。

 

なにか新たなチャレンジを習慣にしていくためには、

すでに習慣化されたものの脇に、その新たなものを置く、のがよい

というのは、これまでも紹介してきました。

 

参考:「ルーティンで整える

 

 

しかし、そこにちょっとでも

「継ぎ目」があったり、

「段差」があったり、

「連携にズレ」があったりすると、

気づいてみると、「新たなチャレンジ」が、ごっそり抜けてしまう…のです。

 

今回は、

【すでに習慣化しているもの:強固な習慣となっている10年日記】

と、

【新たなチャレンジ:正月に作成した今年のアクションチャートが別の手帳に綴じている】

 

ことで分断されていることにより、引き起こされていると分析しました。

 

さあ、再チャレンジ。

皆さんは、この一カ月はいかかでしたか?

 

今日もきっと・・・I・W・D!

『名前をつけてくれた人の名前をつける』

 

今日は完全に個人的なお話。

 

二年前のちょうどいまごろ、

私は、母を亡くしました。

 

三回忌の法要も、先日、晴天の中、

親族の笑顔が集まる中、

滞りなく無事に済ませることができ、

ほっとしています。

 

あれから二年ですか。

あっというまですね…。

 

この話をすると、多くの方に驚かれるのですが、

実は、母の戒名は、私がつけました。

 

きっと、

「戒名なんて、勝手につけていいの?」とか

「そんな常識はずれなことをするなんて、もってのほかだ!」と

お叱りをうけちゃうことをしてしまっているのかもしれませんが、

 

母が亡くなった直後から、

いろんな事情や、個人的に思うところもあり、

自分で戒名をつける決断をしました。

(もちろん、親族を説得しましたし、

 お寺の住職さんにも相談をしました)

 

亡くなった日から14日間、

いろいろな人に教えをいただきました。

本もほぼ徹夜で何冊も読みました。

 

亡き母が、どんな人だったのか、

母親らしさを表すために、いくつもの候補をあげ、

限られた文字数の中に、一文字一文字を選ぶ時間は、

もしかしたら、私の人生の中で一番、

母と向き合っていた時間だったのかもしれません。

 

いや、間違いなく…。

 

そして、

一週間後には、墓地を検討する際に

他人のお墓の戒名をみていると、ぱっとみた瞬間に

逢ったこともない故人の生前のお人柄、趣味、特技や業績、宗派が

だいたいわかるようになっていました…。(笑)

 

住職に、戒名を見ていただいたときに、

「故人は、〇〇な方だったんですね」といくつか戒名から予想される

人柄をいっていただいたときには、まさに、亡き母の性格そのもの。

親族たちも、大満足の様子でした。

 

そして、最後に

「いいお名前ですし、素敵な時間でしたね」

といっていただいたことで、ほっとしたことを覚えています。

 

私の名前をつけてくれた親の名前を子どもである私がつける。

 

そんなやりとりもあってもいいのではないかな、と思うのです。

 

今日もきっと・・・I・W・D!

『他人の靴では、全力疾走できない』

 

最近、何人もの人からこう聞かれます。

 

「毎日メルマガ配信って、大変じゃないですかぁ?」

(…はい、それなりに大変です。でも、苦痛ではないです。 笑)

 

「あと…実際に参考になるネタなので、もらう方としては嬉しいんですけど、

 あんなにノウハウ出しちゃっていいんですか?」

(…ぬはは、今日はそこなんです!!それについての考えを書き留めておきますね)

 

   ***

 

今の時代は情報社会。

ありとあらゆる情報が流れ、溢れかえっています。

 

私がコンサルタントをしていたときには、

その情報を入手すること自体に付加価値があり、お仕事になっていましたが、

いまや、その手の情報は誰でも、すぐに、

ネットなどから無料で手に入れることができるようになりました。

 

いまは、そういった情報やノウハウを知っていることに価値があるのではなく、

その情報の中からどれを選ぶのか?

どう自分にフィッティングしてるのか?

そして、どう実際に行動にうつして、結果をだしていくのか?

 

ここの部分に付加価値が大きく移動してしまっている、と思うのです。

 

だから私も、その前半の知識付与のところは、だして当たり前。

誰かにとって、役に立つことが少しでもあったら、出し惜しみすることなく、

すぐさま、だせるかぎりのすべての情報を提供しよう!と心に決めました。

 

そして、私はできるかぎり、後半の成果を出すための「フィッティング」活動に、

すべての力を注いで支援していけるようにしたいと思っています。

 

なので、最近の私とクライアントとの会話も<超加速>してきています。笑

 

これまでも日々、進化をさせてきたつもりですから加速して当たり前なのですが、

週に二回くらいのメルマガのときに比較して、5倍くらい(※2年前自分比)!笑

おそらくコーチをしはじめたときの30倍(※10年前自分比)。

コンサルタントをしていたときの100倍(※20年前自分比)は早いのではないか、と思うほどです。笑

 

皆さんもご存じのとおり、

私はここ二年半は、平日毎日メルマガを配信しています。

 

こうした徹底的な情報提供を常にしておくことによって、

読者である皆さんと私との基礎的な知識の共有、言葉の共有、マインドの共有…を、

既に済ませていますから、読者の方とお会いすると早々に、

 

…先日のメルマガの件、自分なりにアレンジして、実際にこうしてやってみた!

…あれを題材に部下と話し、ちょっと違う視点のアイディアもでてきたんだけど!

…で、ちょっとこの部分を修正しようと思うんだけど!!

 

といった、後半のフィッティング、行動へどう繋ぐのか、どう成果をだすのか、

といった最も重要な話を、いきなりできるのです。

 

これまでは、きっと、基礎的な知識の共有、言葉の共有、マインドの共有に

セッションで多くの時間をかけ、費やしてきたのだと思います。

それはそれで意味があることだったとは思います。

しかし、それだと、もはや世の中のスピードには追い付けない。

 

やはり時代は、

いきなりクライマックス

 

せっかくあって話すのですから、できることは各自でやって、

もっと重要な話に時間をかけたい。

 

まさに、その人にあった、その企業にあった形のものを、

お互い同じ土台で話し合い、出しあい、そしてその場で微調整をしていく。

 

そしてすぐさま、次の行動に移していく…

そこにこそ付加価値があると思っています。

 

他人の靴では、決して全力疾走できないように…、

やはり自分にあった靴つくりが必要です。

 

そのためには、実際に走ってみて修正し、

知識を知識のままにするのではなく、体験を通じて智慧にしていく。

 

あなたの靴は、フィット感ありますか?

誰かと同じ靴を集めて、ただただ、それを眺めていても、何もはじまりませんよ。

 

ぜひ、自分用のいい靴にしたてて、おもいっきり走りはじめましょう!!

今日もきっと・・・I・W・D!

『飲み会マネジメント』

 

2016年から構築してきた「飲み会マネジメント」。

 

参考:「バランスを保つ(運用ルール編)

 

年末年始にレビューをしてみました。

一言でいうと、ほぼ、想定通り。

そして、かなり効果的でした!

 

***

 

一年を通じて会食のトータルは、137回。

 

A)お客様との飲み会

B)メンター、学びの飲み会

C)完全プライベートの飲み会

D)恩送りの飲み会

 

の比率は、3:3:3:1としていましたが、

実際のところ、

 

A)お客様との飲み会     32%

B)メンター、学びの飲み会  25%

C)完全プライベートの飲み会 33%

D)恩送りの飲み会      10%

 

実績値は、まあまあ、ではないでしょうか。

なにより、自分をコントロールできている感!は、一気に高まりました。

 

今年は、トータルの枠をやや削減させていくつもりです。

 

ご参考までに。

みなさんもぜひ!

 

今日もきっと・・・I・W・D!

『ずっと、まだ、きっと…』

 

なにか調子のいいときって、

楽観的な自分がムクムクと湧き出て、こう思いません?

 

「もっと、もっと、いけるはず」

 

あるボタンを押したら、必ずご褒美が現れる。

そんなことが何回かつづいたら、

まあ、そのボタンを何回も押し続けたくなるわけです。

 

決して悪いことではないのですが、

問題なのは、同じ状況が「ずっと」続くもんだと仮定して

同じことを強化していくということ。

 

株売買にしても、

パチンコにしても、

(株とパチンコを同列で扱うなぁー、っと叱れるかもしれませんが (笑))

 

そんな世の中、甘くないわけで、

同じボタンを押し続けても、でなくなることがある。

 

でも、人間って面白いもんで、

「まだ」でる…

 

と押し続けるわけです。

 

…で、大金をつぎ込んだ後に、はたと思うわけです。

 

ヤバいところまで来てしまった…

取り返しがつかないことになっている…

 

もう、それを感じた時には、

正しい判断ができないときです。

 

「ここまで押してきたのだから、ここでやめたら無駄になる」

 

だから押し続ける。

 

そして、根拠もないのに、

「きっと」出るに違いない…と信じて押し続ける。

 

もう、そのときは「神頼み」になってしまっていて、

経営ではありません。マネジメントでもありません。

 

ただのギャンブルです。

 

あなたの会社は大丈夫?

あなたの職場は大丈夫?

あなたの生活は大丈夫?

 

堕ちていく人が念じる言葉。

「ずっと、まだ、きっと」がでてきたら要注意。

 

今日もきっと・・・I・W・D!

(あっ!、きっと…がでた!(笑))